スピルバーグ初のリメイク物で、恐らく彼が初めて恋愛感情に真正面から向かい合ったラヴ・ストーリーです。オリジナルは日本未公開の“The Guy Named Joe”で、監督はヴィクター・フレミング、脚本は『ジョニーは戦争へ行った』を65歳で初監督したダルトン・トランボ。内外問わず本作の世評は芳しくなく、特に欧米ではセンチメンタルな作品という批判が多いようですが、私はむしろ抑制の効いた美しい作品だと思いますし、スピルバーグ=即センチメンタルという論調はいかにも紋切型で鼻白みます。 抑制が効いているというのは、特に主演のドレイファスで、ウェットになりがちな作品に多く出演している割に、この人が主演を務めると、むしろドライなタッチになってしまう傾向があります。それだけ知的な演技をしているという事かもしれませんが、本作でも、どうしても観客としては大きな感動を求めたくなる後半より、前半のドラマに彼の資質がより発揮されている印象です。ドレスをめぐるピートとドリンダのやり取りなど、役者と演出家のアイデアがたっぷり詰め込まれていて素晴らしい。 映像だけで感情や現象を説明してしまうスピルバーグお得意の手法(なぜかこれが幼稚だと非難されますが、セリフで説明するより何倍も高等な技術です)も随所に盛り込まれています。例えば、ピートの着陸を見守るドリンダが握っていたスプーンがぐんにゃりと曲がっている(彼女の緊張の度合いをひと目で説明しています)とか、彼女が歩いてゆくと、寝そべっていた二人のエンジニアが跳ね橋のように足を上げて道を開ける(彼女が基地でどう扱われているか分かります)とか、ピートが電話で呼び出された時、窓の外に朝日なのか山火事なのか判然としない赤い線が走り、ドリンダの顔を染める(明らかに何かの予兆)とか。 又、ドリンダがドレスを着て、階段を降りてくるシーンは、スピルバーグ特有の音楽的なリズムがよく出ている所です。彼女が純白のドレスで登場したのを見て、粗野な男達が水を打った様に静まり返る。キャメラは、隙間のある階段の裏側から、唖然とした表情の男達を撮っている。段の上から彼女の足が降りてくると、男達が気圧された様にじりじり後退するという場面。 同様に、ドリンダと踊るために皆が競って手を洗うユーモラスな場面や、のどかな釣りの光景を打ち破るオープニングも、いかにもスピルバーグというシーンです。夜の森に青い照明で浮かぶ飛行機は宇宙船のようで、ここもスピルバーグのファンなら、過去のSF作品を想起する箇所でしょうか。山火事や飛行場面のスペクタクルも、アクションが得意な彼の本領発揮といった所。 ドラマとしてはシンプルな恋愛物語で、そこにファンタジーの要素を足していて、それも目新しいアイデアではないのですが、一応『ゴースト/ニューヨークの幻』より以前に作られた映画ではあります。コミュニケーションの断絶はスピルバーグ作品によく出てくるテーマで、「愛してる」という言葉を言えないピートが、意を決して言おうとすると飛行機のプロペラ音にかき消されて伝わらず、結局ゴーストになってしまって、自分の気持ちを伝える方法を断たれてしまいます。彼が、死者の言葉を受信できる浮浪者を通じてテッドに意思を与えようとするものの、逆の意味に伝わってしまう場面も然り。 今の目で観ると、そういう所もスピルバーグ映画らしいと感じられる点ですね。「俺ほど楽しい男はいない」というピートに、「愛してはいるけど、決して楽しんでなんかいない」というドリンダの切実な訴えは、胸に迫るものがあります。又、これも批判が集中したドリンダの新恋人テッドですが、ハンサムだけど不器用な男として描かれているし、心臓発作を起こしたスクールバスの運転手を助ける場面など、ドリンダが彼を受け入れてゆくきっかけもちゃんと描かれていて、それほど悪くはないんじゃないかと思います。 |