全米マスコミから大賛辞を贈られたキャメロン・クロウ快心のデビュー作。ロスアンジェルス・タイムズは「青春映画から飛び出た驚くべき傑作」と評し、ニューヨーク・ポストは主演のジョン・キューザックの演技を「霊感さえ感じる」と絶賛しました。骨格としては、ごく普通の若者が“自分自身であり続ける事の勇気”だけを武器に、容姿・金銭・頭脳の全てに恵まれた“高嶺の花”のハートを射止めるという古典的なラヴ・ストーリーですが、クロウはこれを、ナイーヴかつモダンな感性によって個性的なヴァリエーションにアレンジし、自分の映画に仕立て上げる事に成功しました。 ドラマは主人公ロイドと彼の憧れの女性ダイアン、その父親という、ほぼ三人の芝居だけで成立しています。ロイドの友人達にはリリ・テイラー演じるコリーなど魅力的なキャラクターも登場し、彼らが醸し出すユーモアはいかにもクロウ作品らしいものなのですが、まあドラマの軸は三人芝居です。そこが青春映画としては特殊な点で、ダイアンの父親が果たすドラマ的役割が突出していて、それが後半の急展開に繋がってゆく。このキャラクターが映画の展開に捻りを加え、若者二人の恋の行方にも影響を及ぼす事でラヴ・ストーリーに帰結させる辺り、見事な作劇術です。 このダイアンという女の子が、ちやほやされている派手な存在でも学園のクイーンでもなくて、どちらかというと学内ではやや浮いている、ファザコン的な箱入り娘である所が要です。彼女が抱えているコンプレックスや孤立感、そして男性の価値観と言えば父親のそれしか知らないという弱みが、ロイドにとってはチャンスになる訳です。又、周囲の目を気にしないほどマイペースである点において、この二人には性格的に共通する部分もあります。 この映画にキャメロン・クロウらしくない所があるとしたら、映像的に陰影が乏しい事でしょうか。名手ラズロ・コヴァックスが撮影を担当したのはいいけれど、ベテランの彼は「青春コメディ映画だから隅々まで明るいルックで」とセオリー通りに考えてしまったのかもしれません。後のクロウ作品の繊細な映像美を見るにつけ、本作のステレオタイプな青春映画的タッチは実に残念です。 勿論、いかな才人クロウとはいえ、デビュー作から思い通りの映画を撮れた筈はないでしょうし、2作目の『シングルス』で開花する自由闊達な遊び心もここにはまだあまり見られませんが、ロイドと友人達とのコミカルなやり取りや気の効いたラストシーンには、その才能の片鱗が既に表れています。 |