アレハンドロ・アメナーバル監督『オープン・ユア・アイズ』のリメイク作品。オリジナル脚本ではなく原作(元の映画)が存在する点、前作から僅か1年で発表された新作である点、過去の作品で主演した俳優を再度主演に起用している点、同じ撮影監督と再び組んだ初めての作品である点など、キャメロン・クロウ作品としては異例ずくめの映画となりました。音楽ファンのクロウらしく、彼はこのリメイクを、他のアーティストの曲をカヴァーするようなもの、と形容しています。 私は本作を劇場で観た後、DVDでも数回観ていますが、やはりキャメロン・クロウ色の薄い映画という印象をずっと持っていました。それは、時空に仕掛けのあるSF的なストーリーもそうだし、激しい嫉妬や殺意を描く感情面もそうだし、クロウ作品には珍しく暴力や死の場面が出て来る所もそうです。しかし、本文執筆のために久しぶりに見直してみて、主人公が挫折を機に人生をやり直そうとするストーリーは、『ザ・エージェント』や『エリザベスタウン』にも通ずる所があるように感じました。 俳優から素敵な芝居を引き出す事にかけては天下一品のクロウ監督ですから、純粋に一シーンとして印象的な箇所はたくさんありますが、ストーリーはかなり混み入っていて、一度観ただけでは何が起っていたのか、理解するのは難しいのではないかと思います。少なくとも、いったん最後まで観て事実を理解してから、もう一度観直して初めて全体像が分かるという感じでしょうか。理解力の劣る私には、それでもまだ謎が残るというか、ラスト近くに親切にも種明かしがあるのですが、それでも全ての謎が完全に説明されてはいないように思います。 こういった作品でも、クロウの演出アプローチは、基本的に変わる事がありません。精細な美しさに彩られた映像の中で、役者から自然で生き生きとした芝居を引き出し、独特のセンスで選曲したパステル調の音楽に乗せて編集するスタイル。ストーリーが深刻なだけに、キャラクター同士の関係性は勿論、平素のクロウ作品とは較べ物にならないほどシリアスな様相を帯びるのは確かです。しかしそれでも、デイヴィッドとソフィアが出会って関係を深めてゆく過程の描き方などには、いかにもクロウ監督らしい、ロマンティックなボーイ・ミーツ・ガール物のエッセンスが散りばめられています。 ちなみに、映画や小説に関して私はいつも思うのですが、現実なのか夢なのか判然としないという描写は、観客に対してフェアではないですよね。それが許されるならストーリーなんて何でもありになってしまう。それは作り手にとって、余りに都合が良すぎます。要するに、やり方として安易なのです。その場面が現実なのか虚構なのか、少なくともラストまでには、作り手は観客に明示する義務があると私は思います。 |