前作『バニラ・スカイ』から4年のブランクを経て、再びオリジナル脚本で自分らしい等身大の世界に戻ったクロウ作品。ファンタジー物や歴史物の出演が多かったオーランド・ブルームが、珍しく現代の若者を演じた事も話題を呼びました。あまりヒットはしなかったようで、賞レースとも無縁でしたが、私はキャメロン・クロウ作品として極めて純度の高い傑作だと思います。 本作は『ザ・エージェント』の姉妹編みたいな雰囲気があり、主人公が会社でのっぴきならない立場に追い込まれ、野心的な恋人からも見放される所も共通しています。しかし本作ではビジネスの話は導入部に過ぎず、その後の彼が“社会的に”どう立ち直ったかは、最後まで描かれません。この映画がクロウらしいと思うのは、あくまでも本筋が、キュートなボーイ・ミーツ・ガールのストーリーになっている所です。 主人公の父親が亡くなり、故郷の街に戻るという本来の目的はちゃんと設定されていますが、主軸はやはりCAのクレアと主人公ドリューの出会い、そして彼らの関係の進展です。クロウの脚本がいつも素晴らしいと思うのは、こういう二人を、シチュエーションを作るための駒や借り物のキャラクターとしてではなく、この映画の中だけに存在する、独立した人間としてその性格を細やかに活写し、その人間同士の心の交流としてのラヴ・ストーリーに集約している所です。 例えば、こんなシーンがあります。機内で初対面の会話があった後、クレアは預かったドリューのスーツをハンガーに掛けようとして、それが喪服である事に気付きます。数日後の電話で、ドリューが父の葬式で帰省している事をクレアは「知ってるわ」と答えますが、ドリューはその理由が分からず「でも僕、謎めいてただろ?」とお茶目に言い張りますが、クレアは機転の利いた返答でドリューを煙に巻きます「人って、自分が思うほど謎めいていないものよ」。 要するに人間関係の機微というのでしょうか、「相手のここが好き」「この部分にキュンと来た」という、登場人物にとっても観客にとっても得心のゆく動機、平たく言えば、その人物のチャームポイントや美点が、スクリーンにはっきりと描き出されているという事です。本作のように、ついつい長電話してしまうほど気が合う、なんていうのもそうです。こういう事は、映画では滅多に描かれないし、うまく描くには特殊な才能を必要とします。大抵の映画では、主人公は特にそれらしき理由を示さぬまま何となく恋に落ち、気がつけばキスをしていますよね。実際の恋愛なら端から見ればそんなものかもしれませんが、ドラマとしては、それじゃいかにも安易です。 ボーイ・ミーツ・ガールといえば、クロウが敬愛する名匠ビリー・ワイルダー監督(インタビュー本も出しています)は、その道の達人として有名な監督/脚本家でありました。ジャンルこそ恋愛コメディ、サスペンス、人間ドラマと様々ですが、それらの映画でワイルダーが描いた男女の出会いのシークエンスは、どれも実にロマンティックで洒落た設定のものでした。クロウ監督はそこまで様式的ではないですが、男女の出会いにこだわり、その過程を丁寧に、細やかな情感を込めて描く事が多い点では、師匠譲りと言えるかもしれません。 クロウ監督は、脚本家だけあって忘れ難い名シーンを作り出すのも巧いですが、本作にも、ドリューの母が葬式で挨拶する場面を始め、素晴らしいシーンがたくさんあります。クライマックスの“クレアの地図”もその一つ。このシーンはラストまで見事に繋がっていて、その作劇の妙に舌を巻きますし、同時にこの場面は、クレアという女の子の図抜けたユニークさと健気さ、ハートの暖かさをも表しています。映画の一場面として、本当に素敵なアイデアですね。 |