ヒッチコックの名作スリラー、『サイコ』のリメイク版。元の脚本、元のキャメラワークをそのままリメイクに使ったというので、話題を呼ぶと同時に随分批判もされた作品ですが、私は、オリジナルを遥かに下回るひどいクオリティで全く違う作品に刷新した凡百のリメイク映画に較べれば、遥かに鋭利なエッジの効いた、独自の視点で構築した作品だと思います。そもそも、元の形をそのままなぞったからといって、誰もがこんなに力のあるカットを撮れる訳でもなければ、誰もがこんなに緊密な、迫力に満ちたシーンを構成できる訳でもありません。 映画会社のミーティングの際、リストと脚本を貰う企画の中に、必ずリメイクが2本くらい入っている事に気付いていたサントは、「どうせなら『サイコ』を」と提案。「設定は現代でカラー、ただしセリフとショットは変えない事」という条件を飲んで引き受けたサントですが、このルールにまずスタッフが付いてこれなくなります。「同じにしろ」というサントに、彼ら曰く「どのショットも? いつまでやれるか分かりませんよ」。一方で俳優には、「脚本は同じだが自分自身の演技を、物真似ではなく、その役を演じて欲しい」と指示したそうです。 サント自身の言によれば、独自の解釈を施したシーンはあるものの、95%はオリジナル通りという事で、逆にそう見えない所がサントの凄さでもあり、またオリジナルの凄さでもあります。言葉遣いは、オリジナルの脚本家ジョセフ・ステファーノによって現代風に直され、当時と世情が違うセリフなども時代に合うよう修正。何より本作は、脇役に至るまでキャストの豪華さが尋常ではなく、彼らの並外れた表現力と鉄壁のアンサンブルをもってすれば、それだけでも単なる物真似に終わる筈はありません。 特にアン・ヘシュの、はっとさせられるような繊細な佇まいに至っては、大抵の観客にとってその行く末が知れているだけに、一瞬たりとも目が離せないようなはかなさがあります。演技派を集めているだけあって、俳優陣の存在感は強靭ですが、それによってドラマの強度も上がった印象。アンソニー・パーキンスの個性が突出していたヒッチコック版とは違って、役者のアンサンブルでじわじわと盛り上げてゆく有機的な迫力を感じます。モーテルでの、ベイツとマリオンの会話が緊張の度合いを増し、おかしな方向へ逸れてゆく辺りのスリルは、正に現代的な演技プランの成果と言えるでしょう。 映像面でも、例えば冒頭の空撮は、オリジナル版だと窓枠までですが、本作では部屋の中にキャメラが入ってゆくなど、技術の進歩を強調。性的な描写も直接的になっているし、殺人シーンで被害者の深層意識と思しき映像がフラッシュバックするのは、サントらしい独自の表現です。色彩設計こそヴィヴィッドなカラーに変わっても、オリジナルの張りつめた緊張感と衝撃度が、いささかも減じる事なく移し替えられている所に、作り手の非凡な才気を窺わせます。 又、天才バーナード・ハーマンが作曲したオリジナルの音楽をほぼそのまま使用する事で、これも奇才クリストファー・ドイルが撮影した90年代らしいカラー映像と相まって、斬新な不協和音を奏でている点も見逃せません。これは手法は『ケープ・フィアー』でも用いられましたが、スコセッシ監督の映像には元々クラシカルなセンスを下敷きにしている部分もあり、本作に見られるような新旧センスの乖離と、そこから生まれるユニークな対比まではなかったようにも思います。 このリメイク全体として、企画の態度や作品そのものに漂う空気感が、映画産業による資源の再利用というより、ロックな姿勢を感じさせるアーティスティックな表現の一環に見える所が、サント作品らしい好ましさといった所。キャメロン・クロウ監督が『バニラ・スカイ』を撮った時、「リメイクというより、ミュージシャンのカバー演奏に近い」と言っていましたが、本作はその先鞭と言えるかもしれません。 |