グランジ・ロックの伝説的バンド“ニルヴァーナ”の中心人物、カート・コバーンの死にインスパイアされた小品。コバーンは人気絶頂時の94年、妻コートニー・ラヴとの間に娘が生まれたばかりだったにも関わらず、自宅のバスルームでライフルによって自ら命を絶ちました。本作は、コバーンその人を描いた作品ではなく、彼と似た境遇のミュージシャンが自殺するまでの2日間を描写する事で、その苦悩と孤独について考察しています。 前作『ジェリー』『エレファント』と同様、実話からインスパイアされ、小編成スタッフと即興的な手法で“死”について取り組んだ事でこれらは三部作と捉えられていますが、撮影スタイルだけでなく、映画に底流するムードや感情に関しても、これら三作品には共通する何かがあります。本作は、中でも最も即興的な要素の強い作品で、自主映画に近い人数で撮影しているし、俳優の演技や撮影手法も、ほとんどフリーハンドで行われたような印象を受けます。 その点で、本作はかなり素人っぽい仕上がりの映画に見えるかもしれません。何も起らないような長回しショットが多いし、俳優達の演技も自然体すぎて、オフ・ショットを撮影したドキュメンタリーみたいに見えます。主人公がほとんどセリフを喋らないせいもありますが、これに較べれば『エレファント』にはずっと映画的な緊張感が感じられたもので、私などは、こういう映画を最後まで集中して観るのはなかなかしんどい、というのが正直な所です。 しかし、ここに込められた真情の深さは並大抵ではなく、ブレイクの心象風景は映画全体のムードを支配しているようにも見えます。これほど淡々とした描写の中にあっても、彼の世界と、別荘に居候している人間達の世界の間に厳然と存在する隔たりは、明瞭に示されています。周囲の人物達はブレイク本人にほとんど関心がないように見えるし、実際に誰も、彼と本質的な関わりは持っていません。画面には沈鬱な虚脱感が漂いますが、その一方で、屋敷を尋ねて来るセールスマン達など、現実的なユーモアも盛り込まれています。人生のどんな局面においても、こういう実際的な事は絶対にあると思います。 サントが言うには、要するにこの脚本には、ニルヴァーナを始めシアトル、ポートランド発のグランジ系ロック・ムーヴメントを起こした人々が経験した事、そしてサント自身が経験した事が反映されている訳です。地元で突然メディアの注目を集め、大金を手にして大きな家を買うが、すぐにそれが馬鹿げていると気づく。地下室に住ませてくれとか、金を貸してくれといって人が尋ねてくる。外の空気を吸いに出ると、車の窓を開けて喚いてくる人がいる(サントの経験です)。 彼はそういったエピソードを、「みんなこの地域の出来事として留めておきたかった」のだといいます。私はこの映画を、そういった地域的な特質に絡んだものとしては捉えませんでしたが、サントには、同じ地元出身のミュージシャン達や彼らを取り巻く状況に対して、単なる自分との類似性を越えた強いシンパシーがあるのでしょう。彼の頭の中には、親友だった俳優リヴァー・フェニックスの死に対する想いもあったようです。 その点において彼は、同じくシアトル周辺のロック・カルチャーに親近感を示し、映画『あの頃、ペニー・レインと』やパール・ジャムのドキュメンタリーでもその一端を描いているキャメロン・クロウ監督と、少しスタンスが異なっています。評論家出身の視点を持ち、友人であると共に音楽ファンとしてグランジ・ムーヴメントを見つめてきたクロウとは違い、サントはもっと内側の深い所からくる、自分との同質性に根ざした彼らへの共感を抱えているように感じます。 それにしても、一見インディペンデント映画っぽい本作に関わっている人達は、豪華というか、実に多彩な顔ぶれです(三部作で本当に独立系作品なのは『ジェリー』だけで、本作と『エレファント』はHBOフィルムズが製作)。インタビュー映像からも、俳優やスタッフが現場で様々なアイデアを持ち寄って作り上げた事が窺われますが、最後の所だけはちょっとした特殊効果を使用していて、ここは全編で唯一、自主映画っぽく見えない場面かもしれません。 カンヌ映画祭で、パルムドールにノミネート。 |