最近の映画ファンはご存知かどうか分からないが、80年代ではスピルバーグといえば、『ジョーズ』『未知との遭遇』『レイダース』『E.T.』、そして『激突!』というくらい、本作のイメージが強かった。 後に『ヒッチャー』など亜流もたくさん作られたが、今観ても迫力のある映画で、ヒッチコックの衣鉢を継ぎながらモダンな感性を加えた意欲的な映画という印象は変わらない。ファーストシーン、車庫を出て住宅地を抜け、街を通って砂漠のハイウェイに入ってゆく車載キャメラの映像を見ただけで、何やら非凡な映画になりそうな雰囲気が漂う。 トラックが主人公を執拗に追いつめるという極めてシンプルなプロット、運転手の顔を映さない事で不気味な匿名性を帯びる謎のトラックの描写、最初はちょっとした嫌がらせに思えたトラックの行動が、次第に殺意を帯びるまでにエスカレートしてくる、不条理な恐怖。ヒッチコックの影響は確かにあるが、より現代的で斬新なサスペンス演出を多彩に繰り広げてゆく所、新人監督とは思えないほどの凄みを感じさせる。 印象的なシーンはたくさんある。例えば、ドライブ・インの駐車場に例のトラックが停まっていて、ブーツをヒントに犯人の目星を付けたものの、人違いでトラブルになってつまみ出されるシーン。ここは、ユーモアとサスペンスが相乗効果となって映画的興奮を煽るシーン造形が秀逸である。 スピルバーグは、脚本のこの箇所を読んだ時に「ヒッチコックそのものだ!」と驚喜したそうで、撮影中も「安易にヒントを与えるな、疑念を晴らさせるな」というヒッチコックの声が耳元に聴こえたと述懐している。この場面では、主人公のモノローグが見事なまでに心理的葛藤を盛り上げているが、主演のウィーヴァーは先に録音しておいた自分のセリフを聴きながら演技したそうで、内面描写と演技が絶妙にシンクロしている。 一方、電話ボックス内の主人公にトラックが突進してきたり、踏切で列車の通過を待つ主人公を背後からトラックが襲撃するなど、スリラーの度合いを上げる恐ろしいシーンも盛り込み、観客を油断させない。前者の場面には毒グモやヘビの恐怖もミックスされていて、『インディ・ジョーンズ』の先駆けとも言える。立ち往生したスクール・バスに襲いかかるかと思えたトラックが彼らを助け、「早く逃げろ」と錯乱する主人公の方が異常者と思われてしまうアイロニーは、正にヒッチコック的状況。 スピルバーグの映像と編集のセンスは尖鋭で力強い。音楽をほとんど使わずにシーンを構築しているし、ジャンプ・カットや極端なクローズアップ、異常なアングルなども多用。例えば、カーブの向こうから走ってきた主人公の車が急停車でスピンし、キャメラが急激にズームバックすると画面上部にトラックの車体が現れるという場面。つまり、実はトラックの下から撮影していたという事実を見せる事で、主人公がトラックの姿を発見して急停車した事を伝えるという、革新的な演出である。 こういうトリッキーな手法はスピルバーグの得意とする所で、本作でも既に、トラックかと思ったら通過列車だったとか、犯人かと思ったらそうじゃなかったとか、善悪が逆転する前述スクール・バスの場面とか、観客を煙に巻く騙しの演出が随所に見られる。 又、主人公が妻と喧嘩中で、家庭がうまく行っていないようなのも、後年のスピルバーグ作品を彷彿させる設定。原題は“決闘”の意だが、実際には主人公が一方的に追い回される映画で、事態が決闘の様相を帯びるのは最後の最後になってからである。 本作はムービー・オブ・ザ・ウィークのシリーズ中、最高の視聴率を獲得。ユニヴァーサルは作品をABCから買い戻すという異例の挙に出る。新たなシーンを追加撮影して編集し直しされた本作は欧州で劇場公開され、放送時間73分の映画がヨーロッパ公開時に88分、その10年後のアメリカ公開時には90分のヴァージョンに変身。 主人公がロスを出発するオープニング・シークエンス、スクール・バスの場面と踏切の襲撃場面、主人公が妻に電話するくだりはヨーロッパ公開時に追加されたもの。73年には、フランスのアヴォリアッツ・ファンタスティック映画祭でグランプリ、ローマのタオルミナ映画祭で監督賞を受賞。 ローマでは4人の評論家が怒って席を立つ一幕もあったが、それは本作のテーマを「ブルーカラーがホワイトカラーに復讐する階級闘争」だとする彼らの見解に、スピルバーグが頑として同意しなかったためとされている。彼はここでフェデリコ・フェリーニ監督に初めて会っている(その後も交流は続く)が、アメリカから来ていたピーター・ボグダノヴィッチ監督とも会っていて、その場で大柄なスポーツマン風の若い助監督を紹介された。これが後にスピルバーグの右腕として辣腕プロデューサーとなる、フランク・マーシャルである。 |