ノーラ・エフロン

Nora Ephron

* プロフィール

 1941年、ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。ユダヤ系の両親フィービー&ヘンリーは、『足ながおじさん』『回転木馬』の脚本家コンビ。ビヴァリーヒルズに移住し、マサチューセッツのウェルズリー・カレッジを卒業。在学中からCBSやニューズウィーク誌の雑用バイトを始め、卒業後は『ニューヨーク・ポスト』のリポーター、『エスクワイア』や『ニューヨーク・タイムズ』誌のライターとして活躍。2冊のエッセイ集がベストセラーとなり、シナリオを書き始める。

 作家・脚本家のダン・グリーンバーグと結婚・離婚、78年にローレン・バコール主演のTVシリーズ『Perfect Gentleman』で脚本家デビュー。映画『大統領の陰謀』のモデルで、ウォーター・ゲート事件の真相を暴いた新聞記者カール・バーンスタインと再婚。2児を出産するも4年で離婚。その過程を題材にした小説『ハートバーン』はベストセラーとなり、『心みだれて』として映画化。その脚本も彼女が執筆。

 83年、マイク・ニコルズ監督作品『シルクウッド』でアリス・アーレンと共同脚本を手がけ、アカデミー賞にノミネート。ロブ・ライナー監督の『恋人たちの予感』で2度目のオスカー候補。92年の「ディス・イズ・マイライフ」で監督デビュー。次作の『めぐり逢えたら』が世界的ヒットを記録し、アカデミー脚本賞にノミネート。

 『グッドフェローズ』の脚本家ニコラス・ピレッジと再婚。彼に触発され、マフィアが主人公の『私のパパはマフィアの首領』『マイ・ブルー・ヘブン』のシナリオを執筆し、製作にも参加。友人ウディ・アレンの『重罪と軽罪』『夫たち、妻たち』にパーティの客でゲスト出演している。4人姉妹の長女で、妹のデリアとエイミーも脚本家。12年6月、病に倒れ、惜しまれつつこの世を去った。

* 監督作品リスト (作品名をクリックすると詳しい情報がご覧になれます。)

 1992年 『ディス・イズ・マイ・ライフ

 1993年 『めぐり逢えたら

 1994年 『ミックス・ナッツ/イブに逢えたら』(日本未公開)

 1996年 『マイケル

 1998年 『ユー・ガット・メール

 2000年 『ラッキーナンバー

 2005年 『奥さまは魔女

 2009年 『ジュリー&ジュリア

* スタッフ/キャスト

 ノーラ・エフロンの映画を支えるスタッフ、キャストたち  

* 概観

 ノーラ・エフロンは、私の大好きな映画作家の一人。たった8作で映画監督としての人生が終ってしまった事は、残念で仕方ありません。彼女の映画には激しいカー・チェイスも銃撃戦も出て来ないけれど、愛らしく魅力的な人間たちと人生の機微が、シックな語り口によって描かれています。辛辣なようでロマンティックな優しさに溢れ、ストーリー・テラーなのに映像や音楽、美術面に繊細なこだわりを見せる彼女。

 ニューヨーク派の雰囲気もありますが、これがウディ・アレンだと知性やマニアックな偏愛に寄り過ぎる(それがアレンの魅力でもある)けれど、エフロンはもっと、自分が好きな物に対する愛情の示し方をキャッチーに見せられる人だと思います。彼女は、古い映画や音楽が好きだけれど、それらとの距離の保ち方は独特。例えば『めぐり逢えたら』は、往年の名作『めぐり逢い』を下敷きにしていますが、その布石として主人公の友人を無類の映画ファンに設定しています。

 

 エフロン作品のキーワードは「縁」と「関係性」、そして「相対的価値観」。彼女が映画の中でとりわけ丁寧に描くのが、人と人との関係性です。それが物語の主要な軸となっている。彼女の映画は、人と人がどうやって出会い、人生がどう変わってゆくかを描いています。つまりそれは、縁です。エフロンは「縁」と「関係性」を語る映画作家だと、私は思います。

 『めぐり逢えたら』は遠く離れた土地に住む男女が、キューピッド(ラジオと子供)を介して出会う話、『マイケル』も縁結びの天使が主人公で、『ユー・ガット・メール』はインターネット上の出会いが現実の出会いに変わる話、『奥さまは魔女』は魔法と映画製作が男女の縁を結ぶ話、『ジュリー&ジュリア』は顔も合わせた事のない2人の女性がレシピ本を通して繋がる話です。

 面白いのは多くの場合、恋に落ちる相手と既に出会っているケースが多い事。『マイケル』でも『ユー・ガット・メール』でも『ミックス・ナッツ/イブに逢えたら』でも『奥さまは魔女』でも、カップルとなる男女は当初、お互いに対して良い感情を持っていません。そこに介在するのがキューピッド、そして「相対的価値観」です。顕著なのは『ユー・ガット・メール』で、この場合、女性が恋するチャット上の相手と仲の悪い商売敵は、同じ人物です。社会的な立場や置かれた環境、相手を見る角度によって、価値観は揺れる訳です。

 恋愛ではないですが、『ディス・イズ・マイ・ライフ』もこの関係を描いていて、母親に不満を持つ反抗期の少女は、長らく会っていない父親に母の成功をあざ笑われた途端、むきになって母をかばいます。心の底では気付いていた母の愛情や努力が、外からの視点によって再認識させられる訳です。こうやって、他者との関係や環境によって変わる価値観が、エフロン作品の物語を動かします。

 

 なので、彼女は脇役をとても丁寧に描く。特に、主人公の友人や家族を、非常に魅力的に描きます。『ユー・ガット・メール』では男女それぞれに仕事仲間がいますが、その登場時間やセリフの多さは、通常のドラマの比ではないでしょう。製作者のローレン・シューラー・ドナー曰く、「ノーラは脇役にも演技がきっちりできる俳優を起用している。街を歩くエキストラもみんなプロよ」

 しかし彼女の演出は俳優の演技だけに偏ったものではなく、映画好きらしい、あらゆる局面に卓越したセンスを発揮します。『めぐり逢えたら』で、お互いのお尻について論評しつつシアトルの坂を下ってゆく、トム・ハンクスとロブ・ライナーの後ろ姿。そこに漂う暖かな空気感は、演じる役者に高度な演技力があるとか、影監督に卓越した映像センスがあるとか、そういう事だけでは決して生まれてこないものです。様々な要素の相乗効果を導く才能とセンスが必須なのです。

 

 エフロン作品は、自身で脚本を執筆している割に原作物やリメイクが多いですが、そのやり方にひねりがあるのが特徴。古典映画のリメイクである『めぐり逢えたら』は、前述のように登場人物を映画ファンに設定して元ネタへの言及を盛り込んでいるし、『奥さまは魔女』もリメイク作品を製作する人々の話になっています。『ジュリー&ジュリア』では同じレシピ本をめぐる別々の原作を採用し、2つの話を交互に描くという斬新な映画化。

 映像のスタイルは作品によって様々ですが、全体としてはウディ・アレンと同様、古い映画への偏向が伺われ、濃いめでコントラストの強い色調を用いる事が多いように感じます。特に、街角の明かりの演出など、照明の効果はロマンティックでクラシカル。逆に、音楽はオーケストラの劇伴をメインに持ってくる事が少なく、ポップ・ソングが中心でモダンな印象を受けます。サントラのプロデュースにも自身で関わっているように、選曲にもこだわりがあり、音楽好きの一面も窺わせます。

 ジャーナリストとしての立ち位置や映画の視点の鋭さ、シニカルなウィットに富んだエッセイ本でも人気を博しているので、いかにも才気煥発で攻撃的な女性をイメージしがちですが、本人はむしろ落ち着いた知的な文化人という感じです。ドキュメンタリー映像で彼女の姿を見る限り、むしろおっとりした口調で話す、穏やかな人。顔つきも、サングラスをしていないと優しく柔和な感じに見えます。

 

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