『マッドマックス』で世界的に認知されたミラー監督。シリーズの熱狂的なファンも多く、ヴァイオレンスやカー・アクションばかりが語られてきた印象だが、実際には彼のフィルモグラフィーの中で、ヴァイオレンス・アクションは少ない部類に入る。『ベイブ』や『ハッピーフィート』は大ヒットしただけでなく、賞レースに絡むほどの良作だったし、『ロレンツォのオイル/命の詩』もアカデミー脚本賞にノミネートされた。 ミラーが凄いのは、激しいアクションを演出できるからではなく、誰にも真似できない独創的な世界観を構築し、ユニークな映画語法でストーリーを語る事ができる所。彼の語り口は非常に個性的で、ストーリーテリングにおいて何を重要視するかという基準が、一般的なそれとかなり違っている。際立っているのは「省略」の手法で、説明的な描写を取っ払い、断片的で力強いカットを積み上げて行くやり方は独特。 そのためどの作品も、観客が作品のリズムを掴むまでに少しコツがいるかもしれない。構成に無駄がないミラー作品では、しばしば前置きなしに本題へ入るが、それは『ベイブ』や『ハッピーフィート』のように、一見ファミリー映画の顔をした作品でも例外ではない。彼は説明をほとんどしないまま、有無を言わさずダイナミックな物語の渦に観客を巻き込み、勢いで翻弄してしまう。 ミラーの映画作りにおいて特徴的なのは、小道具やキャラクター設定など、ディティールに徹底的にこだわり、膨大なバックストーリーを設定しておきながら、出来上がった映画にほんの一部しか反映しない所。そもそもセリフも少なく、説明的な描写がほとんどないのに、突拍子もない描写が当たり前のように展開され、意味ありげなディティールが溢れ返るため、細部まで完全に出来上がった世界が眼前に現出する。 非効率的だし無駄だらけの作り方だが、それがミラー作品の豊穣さの秘密でもある。『マッドマックス』シリーズはその代表的なもので、「なんだコレは?」という謎の描写が頻出し、後でパンフレットやメイキングを見ると詳しい裏設定があったりする。そんなの映画の中で説明してくれなければ分からないが、ミラーによれば、別の脚本をもう1本作れるほどのバックストーリーがあるそうだ。なのに、それを生かさない大胆さが凄い。 題材には一貫性が無いように見えるが、映画を観ればそれらを同じ監督が作った事に納得がゆく。その点は、自身で製作と脚本も兼ねているメリットでもある。「不屈の精神」は、ミラー作品で繰り返し描かれるテーマだ。主人公は、自分より遥かに強大な相手に立ち向かってゆく点で共通するが、大抵は何の取り柄も無い、ごく普通の人間(や動物)である。 医師として無惨な事故現場に多く立ち会った経験が『マッドマックス』を生み、そのシリーズで豚を扱った事が『ベイブ』に繋がり、医師としての使命感が『ロレンツォのオイル/命の詩』、故郷で育まれた大自然への畏怖が『ハッピーフィート』に生かされるという、人間としての自然な希求が映画作りに繋がっている点は注目したい。 暴力的な映画を撮るイメージが強いかもしれないが、スタッフやキャストはみな「穏やかで優しい人。声を荒げる所は見た事がない」と言う。これほど才能があって心優しい彼が、難病ドラマやファミリー・アニメを撮るのは、別におかしな事ではないのだろう。『マッドマックス2』の出演者ヴァーノン・ウェルズは、「『マッドマックス』と全然違う世界観の作品も全部成功してるだろ? 彼と一緒にいると、それが全然矛盾していないって事が分かるんだ」と語っている。 生身の危険なアクションを多用してはいるが、元医者だけあって安全性には徹底して配慮している。アクション描写のこだわりは強く、どの場面も監督の頭の中に完璧な画があって、少しでも早く車が通り過ぎたりすると最初からやり直したという証言もある。『マッドマックス』の出演者によれば、ミラーは黒澤明の影響も受けていて、要塞を守るという2作目のシンプルな設定や、3作目の映像構図にはそれが強く出ている。 スタッフ・ワークは外部作品を除けばオーストラリアの人材を活用していて、初期作品のスタッフが色々な部門で関わり続けている点に、人を大切にするミラーの姿勢が窺われる。共同作業が好きな人で、共同監督の作品も幾つかあるし、『ベイブ』の第1作では脚本と製作のみで裏方に回るなど、チームでの映画作りを強く意識しているように見える。 『マッドマックス/サンダードーム』を一緒に監督したジョージ・オグリヴィーには、演劇の工房理論を映画製作に持ち込むよう依頼。この時期からTVシリーズも含め、スタッフ、キャストが一同に会して議論しながら製作を進めるスタイルを取り入れている。なのでミラー作品では、各部門のスタッフが共同製作者にクレジットされている例がしばしば見られる。 俳優との仕事もスムーズで、衝突やトラブルの話は伝わってこない。当初からアドリブ演技を多く取り入れていて、初期作から最新作に至るまで出演者は皆、「俳優を信頼している監督なので、かなり自由に演じさせてくれる」と語っている。『ハッピーフィート』でもアテレコを個別に行わず、俳優を集めて一斉に声の収録をしている。 ティルダ・スウィントン曰く、「彼はストーリーボードとショットリストを使っていて、それらが退色するほど使い込んでいる。そうやって何年もかけて確立したもので撮影するけど、急に『こんなのはどう?』と提案しても、『やってみよう』と言ってくれる。それが彼の求めていた物とずれる事はない。ポン・ジュノも同じやり方だった」。 彼は劇場で上映される映画を「公の夢」と呼び、観客に共有される体験を大切にしている。そのせいか配信限定の作品は撮っていないが、映像ソフトや配信は否定しない。「両者にメリットがある。後者の良さは、1コマ単位で映画を観る人がいる事だね。それは嬉しい事だよ。近年は、そういう観客もいるだろうと思って細部にもこだわっているんだ」。 |